いよいよ最終日です
このブログも残すところこれを含めて4回の予定です。
今回は一気に書き上げました
最終日は朝からギャラリーラファイエットへ。
前日行ったときは、中国人だらけだったのであまりじっくり見る事ができず、朝いちのギャラリーラファイエットへ行きました中国人はちらほらいるものの、さすがに朝は混んでおらず買い物するなら朝いちがいいと思います
その後、荷造りをしてチェックアウトです。
荷物をフロントに預かってもらい、昼前から今回の旅行で行っていないシャンゼリゼ通りへ出発です
メトロで移動しフランクリン ルーズベルトで降りると、そこはシャンゼリゼ通り付近です。街中の木々はこれから夏だというのにすでに秋めいていました
シャンゼリゼ通り
パリ8区の約3km、幅70mの大通りです。マロニエの並木道となっていて、東はコンコルド広場から、西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場まで全長約3km続き、言わずと知れたパリの観光スポットです。
今回はラデュレでランチを食べたかったので、さらに凱旋門側へと歩きます
ラデュレ シャンゼリゼ店
で選んだのがココ フーケッツ! シャンゼリゼを代表するカフェで食事をしましたここは、その22で書きます
目の前にはヴィトン本店があります。ここは客も多いけど、店員も多いので比較的じっくりと買い物ができますしかし、すべてが日本価格3~4割引き相当の値段でめっちゃ安かったです
さらにちょっと歩くと
エトワール凱旋門に到着です。
アウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年にナポレオンの指示で建設が始まったこの凱旋門。完成はルイフィリップの王政復古時代の1836年です。華やかな凱旋門ですが、下には第一次世界大戦の無名戦士の墓もあります。
地下道で道を渡ります
華やかな凱旋門ですが、やっぱりここは墓でもあるんですね。。。意外な一面です。
凱旋門に刻まれている彫刻にはそれぞれ意味があります。
1792年出発「ラ・マルセイエーズ」
1792年神聖ローマとプロテインがフランスの国境に攻めてきます。祖国の危機にマルセイユから駆けつけた義勇兵が出陣しました。この彫刻は勝利の女神ニケに導かれライン川へ遠征するフランス軍を描いたものらしいです。
1810年勝利
オーストリア、ドイツなどに勝利したフランス軍を祝福したものです。勝利の女神ニケが空を飛び、英雄ナポレオンが月桂樹をかけてもらっています。ウィーン講和条約をたたえるものといわれています。
1814年抵抗
表側はいろいろ解説があるのですが、裏面はあまり解説無いんですよね。。。
1814年というと前年ライプツィヒの戦いで敗れたフランスが、オーストリア・プロイセン同盟、スウェーデン、イギリスに方位され、とうとうパリが陥落していしまいます。おそらく、それらの対仏同盟への抵抗なのでしょう。
1815年平和
1815年はエルバ島を脱出したナポレオンがイギリス、プロイセンに緒戦では勝つものの、ワーテルローの戦いで完敗しナポレオンの復位が100日で終わってしまいます。こう見ると、彫刻に刻まれるメッセージの意味合いが大きく変わっていますね。
凱旋門から見たラ デエファンス方面です。
凱旋門を後にして、シャンゼリゼの反対側をコンコルド方面に下って行きます。天気がよくて気持ちいいです
ちょっとメルセデス博物館にたちおより、F1カーを見ました。最近F1見ていなかったのですが、規制でかなりへんな形に変化しましたね。どうみてもかっこよくないやろ~
グランパレが見えてきました
さらに、コンコルド方面に向かいます。グランパレ以降は木々に囲まれた静かな道へと変化します。
いよいよ到着!相変わらずよく歩きました
その後 妻が最も気に入っているオランジュリー美術館に行こうと思ったのですが、美術館は火曜日は休館日でした 残念
これで、シャンゼリゼ通り散策は終了です。この後は、ちょっと戻ったランチ「フーケッツ」について書きたいと思います。